走遍中国

幸福小区                                         2018.10.4

上海の地下鉄「交通大学」駅の近くを歩いていて見つけました。

とても温かい気持ちになりました。謝謝!感謝!

みんなが幸せでありますように。

 

幸福小区1    幸福小区2
   
  幸福小区3

 

(東亜学院 垂井進) 

 

中国高速鉄路「高铁」                                      2018.9.12

 

 中国の高速鉄路、「高鉄」をご存知ですか。

 走遍中国 中国高速鉄路「高铁」1

 今もどんどん高鉄の鉄道網は拡大していて、2020年までに人口20万人以上の都市をほぼカバーするそうです。

 日本の新幹線の「のぞみ」「ひかり」のような列車番号は「G○○」「D○○」となっています。

 Gは「高鉄gaotie」の頭文字Gで、時速は250キロから350キロ、Dは「動車dongche」の頭文字Dで最高時速250キロぐらいです。ちなみにG1号車は朝の9時に北京南駅を出発し、上海虹橋駅に午後1時半、なんと4時間半で到着してしまいます。北京から上海までの距離は、東京から九州の長崎までの距離と同じくらいですから、本当に速いですね。

 人口が多い中国ですから、高鉄の駅も巨大です。平日でさえ人で溢れかえっているのに、春節になったらいったいどうなってしまうのか想像もできません。切符を買うのも本当に一苦労です。高鉄の駅を利用するたびに「今、中国にいる」と実感する私です。

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(東亜学院 垂井進) 

 

還暦留学の記                                      2018.8.13

ゼロから始めた東亜学院での中国語学習。それが5年を超えたのが、私の定年退職の時でした。私のいた会社は再雇用で65歳まで働けるのですが、再雇用後、残った有給休暇を使って最大3か月休めるという制度がありました。奥さんと長めの旅行に行って1か月休むというのが大体の過ごし方ですが、私は迷わず3か月の中国語留学を選びました。

 

4年前の北京大学でのマンツーマン2週間の経験から、今回は確立された語学教育システムを持つ北京語言大学のクラスに入ることにしました。クラスは20名強。留学生たちは韓国・イギリス・ロシア・アメリカ・イタリア・インドネシア・タイ等々世界各国から来ており、平均年齢は22歳くらい。ここまで若いとは想定外でしたが、自分の子供より更にもう一回り若い世界の若者との「オイ!オマエ!」関係の3か月の生活は、語学以上にフレッシュで得難い経験でした。

 

なぜか皆に推されて学級委員に選ばれ、万里の長城や天壇公園などへの遠足や、上海・蘇州・南京の修学旅行の際、バス乗車の点呼や荷物の管理など添乗員さながらに働かされましたが、おかげで先生方(恐らく全員年下)からもかわいがってもらい、中国語会話の訓練のチャンスを広げることができました。

 

特に印象深かったのがこの修学旅行ですが、初日に北京から20時間近く掛けて夜行列車で上海に行きました。夜中の列車の車輪の音や車輪がレールと擦れてきしむ音、どこまでも続く大平原の景色など、映画の世界でしか見たことのない大陸を実感して深い感動に浸りました。

 

修学旅行の最終日が南京観光でしたが、引率の教師から各クラスの学級委員に対し、何かしゃべれと言われ、私は大要「先の大戦の時、我々の先輩がここ南京で取り返しのつかないことをした。永遠に謝らなければならない」というようなスピーチをしました。先生方は照れたように笑っていましたが、鄰に座ったイタリア人の女性が「すばらしいスピーチだったよ。イタリア人もヨーロッパで相当悪いことをしてきたけれども率直に反省を口にする人はほとんどいないのよ」と話してくれました。

 

これ以外にも国慶節の1週間の休みを利用して独りで行った大連で、スパイと怪しまれて空港の警察に1時間ほど留められたり、あちこちの大学や社会人の「中日交流会」に出かけたり、会話の試験としてアメリカ・イタリア・タイ・日本の4人チームで劇を演じたり、日本人のクラスメートがカザフスタン人とけんかして傷を負い、学級委員として病院に付き添ったり警察に事情の説明に行ったり、マイナス7度くらいの早朝に毎日ジョギングして故宮や三里屯や頤和園などを往復したりしました。

 

こうして本当に充実した日々を過ごしましたが、終わってみると3か月はあまりにも短く、中国語をある程度しゃべれるようになるには最低1年だなと思いつつ帰って来ました。

 

(中国語学校受講生  重栖 光様) 

 

 

三国志の旅・関帝廟にて                                2018.2.15

 「走遍中国」の原稿書きを依頼されて、気軽に引き受けたものの、30数回の渡中歴を誇る私、実はほとんど内容を覚えてはいないのです。窮余の策として、昨年ブログに書いた旅行記の一節をそのまま転用させていただきました。成田⇔武漢間の直行便が出来たのを利用して、南の方の三国志由来の土地を訪ねたツアーの3日目の印象記です。

 

3日目。本日は荊州古城まで行く予定。例によって長い移動から始まります。それでも昨日よりは短くて、3時間のバス移動で最初の目的地に到着します。町中には緑化推進のスローガンが掲げられていましたが、当地はそんなスローガンは全く必要ないほど、自然の緑に恵まれた土地です。それでもこんなスローガンを大々的に掲げているのを見ると、教条主義的な融通の無さを感じてしまいます。

 

移動中、高速道路沿いには明らかに人工的に密に植樹されており、おかげで美しい田園風景がほとんど見えません。一体何を考えているのかと言いたくなります。それでも時折かいま見ることのできる風景は、既に4月末に刈り取りが終わり、二期作目の田植えに入った田んぼの姿です。まだ耕うん機などは導入されておらず、昔ながらの腰を90度に折ったつらい姿勢での重労働です。バスが南へと進むにつれ、田植えの最中の景色が、既に田植えの済んだ景色へと移り変わってゆきます。更に進むと、蓮(はす)田が増えてきます。私が生まれ育った田園地帯と良く似た光景が広がっており、自然と心が和みます。

 

最初の観光は、関羽の墓、関陵。実ははるか昔、洛陽近郊で、同じく関陵を見学したことがあります。その時は都立高校の教員だけを対象に勧誘があったツアーで、そこは予定に無かったのですが、私と同僚の教員2人で強くお願いして、本来予定には無かった寄り道をしてもらったのでした。洛陽近郊にある関陵は、厳密に言えば関羽の首塚、今日見るのは関羽の胴体だけが埋められた場所です。呉軍によってしとめられた関羽の首だけが魏の曹操の元に送られ、関羽の義を愛する曹操が、都の近くにその首を手厚く葬ったのです。関羽は敵将ではありますが、呉の国でも敬意を表して、胴体だけの塚を作ったわけです。

 

しかし、世界中、中国人のいる所どこにでもあると言われる関帝廟、ここには関羽が祭られているのですが、肝心の本家本元の関陵は、あまり大切にされているとは言えません。こちらの関陵も、参拝する人などほとんどいないことが、そのたたずまいから分かります。しかし、個人的には寂れている方が好みではあります。いつかまたここを訪れる日があるとしたら、その時には観光地化した門前に土産物屋が立ち並び、やかましく「1,000円! 1,000円!」といった声が飛び交っていることでしょう。

帰り際、幼い男の子を抱いて暇そうに立っている女性がいました。昔の中国ならこういう人は間違いなく物乞いだったのですが、この人は純粋に赤ん坊をあやすために外に連れ出しているという風情でした。この女性、通りかかった私たちの一行に、何やらしきりに声を掛けています。物乞いではないし、一体何を言っているのだろうと立ち止まって見ると、「韓国人か?」と尋ねているのでした。

 

中国の観光地には、ハングルの説明を加えた表示が至る所で見かけられるようになりました。これまではこの地を訪れる外国人と言えば、韓国人ばかりだったのかもしれません。一応日本人であることを伝えてその場を去りました。学歴も無くこの地を離れたこともなさそうなこの女性が、韓国人と日本人の区別がつくようになる日も近いでしょう。

(中国語学校受講生 梅沢康様) 

 

台北の思い出 ― 片思いテロ…?                                          2018.1.4

台北の街を歩くと、至る所でジューススタンドを目にする。誰もが知るタピオカミルクティーはもちろん、新鮮な果物や豆類や各種の茶を使ったメニューがずらりと並ぶ。注文すると、目の前で店員さんが手早くドリンクを作り、700mlはあろうかという大きなカップに注ぎ、機械を使ってビニールの蓋で密封してくれる。直径1cmほどもある太いストローで蓋に勢いよく穴を開けて飲めば、うだる暑さも吹き飛ばしてくれる。

 

私が台北に留学していたころ、寮の2人部屋のルームメイトは、インド美人のような大きな目のKちゃんだった。Kちゃんは男子学生に大人気で、毎朝のように私たちの部屋には、「Kちゃん、教室までかばんをお持ちします」とか「Kちゃん、僕の自転車の後ろに乗りませんか」という男子学生が次々に訪ねて来た。

 

ある夏の週末の夜、私とKちゃんは次週に迫った試験の勉強に追われていた。そこへ、トントン、と来訪者。ドアを開けると、Kちゃんの知り合いの男子学生が「遅くまで勉強大変だね。これ飲んで頑張って。ルームメイトさんの分も」と、ジューススタンドで買ったとおぼしき大きなパパイヤミルクのカップを2つ差し出した。「ありがとう。…ごめんね、今、来週の試験勉強で忙しくて」と、遅い時間の来訪者に少し迷惑そうな様子のKちゃん。彼は「じゃ、頑張ってね!」とだけ言って立ち去った。

 

その夜は2人ともいつになく集中して勉強し、消灯したのは1時半を過ぎていた。

  走遍中国 台北

 

次の朝、ぐっすり眠っていた私たちは「パンッ!」という乾いた爆発音に跳び起きた。「なになに!?」と慌ててベッドからはい出した私の目の前で2発目の「パンッ!」が鳴り響き、机の上に置かれた大きなカップからクリーム色の液体が噴水のように垂直にのぼってそこらじゅうにあふれ出した。あっけにとられる私の前で、液体はまるで手品のようにとめどなくカップから湧き出してくる。

 

気が付けばもう日はずいぶん高く上がっていて、部屋の中も蒸し暑い。昨晩飲まずに置きっ放しにしたパパイヤミルクがすっかり発酵して、蓋を押し破って爆発したのだ。事件かと一瞬緊張した私とKちゃんは、顔を見合わせて笑い出した。その後私たちが机と部屋の掃除に追われたのは言うまでもない。人の好意を無にしてはいけないということ、そして、食べ物を(もちろん飲み物も!)粗末にしてはいけないということを、改めて思い知った夏の日だった。

(東亜学院中国語学校講師 K.Y.先生) 

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